RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

03
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

涼子の部屋〜セカンドハラスメント〜

セカンドハラスメント〜罪の意識なき重き罪〜
ホームページhttp://secondhara.ayumu-office.com/ にセクハラ被害と被害を『声』にしたことによるセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)のことを書いてきました。

セクハラもパワハラは、被害者の問題ではありません。加害者の問題です。
そして、セカンドハラスメントの概念は、被害者・労働者側の概念ではなく、事業主・社会保険労務士がリスクマネジメントとして持つべき概念であることに気がつきました。

被害者にとっての真の解決は、自分と同じ被害に遭う人が皆無になることです。
終わりはないのです。。。
加害者側が無理に終わりにしようとするから歪が生じるのです。

実務的には事業主側の社会保険労務士として、被害女性として、セカンドハラスメントの概念≒リスクマネジメントを書いていきます。

<< 安 | main | 祈りと呪いの違い >>
祈り、願い、希望。。。呪い、祟り
0

    クリスマスイヴです。
    1年が、あっという間に過ぎたような気がします。

    セクハラの被害の『声』は、一昔前よりは出しやすくなりましたが、悪意の故意でしかない身体的なセクハラの被害はなくなりません。
    己の性的欲求を満たすために嫌がる女性の身体を触る行為を行った加害男性への刑事罰も民事罰も社会的な制裁も、セクハラの被害に遭った女性の心の傷の深さに比べると、あまりにも軽すぎるものです。

    社会保険労務士で貝塚市の民生委員であったI口に、極刑を求める私は酷いのですか?
    極刑になってもI口を許すことができないと思っている私は悪いのですか?

    日ごと、I口への憎悪は増していきます。

    なぜなら、セクハラの被害が皆無にならないからです。
    そして、セクハラの被害に遭い傷ついた心を更に傷つけるセカンドハラスメントの被害がなくならないからです。

    私は周囲の人たちに恵まれていました。
    セクハラの被害を『声』にすることで得ることができたものがたくさんあります。
    セクハラの被害を『声』にすることで本当に大切な人たちを得ました。
    「幸せではない。」「不幸だ。」などと言うとバチが当たります。
    私は「幸せです。」としか言えません。
    もちろん、私自身も幸せになるために努力しています。
    セクハラの被害を声にしても幸せであることが、セクハラの加害男性のI口とそれを擁護する人間たちへの何よりの復讐であると考えているからです。
    満ち足りた日々を送ることができることは、私が『善』であることの何よりの証だと思っています。

    私自身が『幸せ』と感じれば感じるほど、セクハラの被害を『声』に出すことができない被害女性や、セクハラの被害を『声』に出したことで仕事を失った被害女性のことを思うと胸が苦しくなります。

    大昔を思えば、セクハラの被害は少なくなり、セクハラの被害を『声』に出しやすくはなりました。
    でも、セクハラの被害に遭い苦しむ女性がなくならない。。。
    どうすればなくなるのか。。。

    『セクハラが皆無になり、セカンドハラスメントがなくなる』ように祈る。。。

    そして、「社会保険労務士で貝塚市の民生委員であったI口のような性的異常な生き物の存在を許さない欲しい。性的異常の生き物とその家族とそれを擁護する人間達の上に私たちの災いの全てを苦しみの全てを追いやって欲しい。」と祈る。。。

    その祈りを祈れば祈るほど、私自身も私の大切な人たちの上に『主の恵』が降り注いでいるように感じます。

    先日、余命宣告を受けたらどうするかとういう話になりました。
    私は、死=天の御国に入ることを許される日が近づいたとき、I口の氏名(フルネーム)と住所などをネット上に流したい。。。
    そのとき、I口がこの世にいなくても、I口の子孫に、I口という性的異常の生き物に苦しめられた月日を呪いと祟りとして残したい。

    呪いや祟りは、「次の犠牲者を出さないため。」という説もあります。
    禁止されると人という生き物は好奇心というものに勝てないことがあります。
    罰よりも呪いや祟りの方が人の好奇心を抑えることができるということです。

    『セクハラを皆無にする、セカンドハラスメントをなくす。』には、罰よりも呪いと祟りの方が有効なような気がします。

    だから、私は、死が近づいたら、I口の氏名(フルネーム)と住所などをネット上に流します。
    I口の子孫への呪いと祟りとして。。。

    そして、毎日毎日、「社会保険労務士で貝塚市の民生委員であったI口のような性的異常な生き物の存在を許さない欲しい。性的異常の生き物とその家族とそれを擁護する人間達の上に私たちの災いの全てを苦しみの全てを追いやって欲しい。」と祈ります。

    聖書では、「人を憎んではならない。」「人を許す。」となっています。
    I口への憎しみは罪だと感じたときもあります。
    でも、I口を憎めば憎むほど、I口を擁護する人間達を許せないと思えば思うほど、私の周囲は『良き』方に導かれています。
    一瞬『悪い』と感じても、少し落ち着くと結果的には『良かった』になっています。

    セクハラの加害男性とそれを擁護する人間達への憎しみと、『セクハラを皆無になる、セカンドハラスメントをなくす。』ということを成就することとセクハラの被害女性が皆幸せになるように祈ることは表裏一体なのでしょう。

    セクハラの加害男性とそれを擁護する人間達への憎しみが強いほど、『セクハラが皆無になる、セカンドハラスメントをなくす。』ことへの願いが強いのでしょう。

    セクハラの被害で苦しむセクハラの被害女性が増えないように。。。
    セクハラの被害女性が幸せになるように。。。
    その祈り、願い、希望。。。

    性的異常の生き物とその家族、それを擁護する人間に呪いと祟りを残したい。

    祈り。。。願い。。。希望。。。



    | - | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









    http://ryoko.ayumu-office.com/trackback/260